子どもの頃に見た作品を配信で見返すときに置いている距離感

休みの日の午後、なんとなく配信サービスのアニメ欄をスクロールしていたら、小学生のころに夕方の再放送で見ていた作品が並んでいました。タイトルを見た瞬間に主題歌が頭の中で流れ出すくらいには覚えているのに、話の中身はほとんど思い出せません。懐かしさに任せて1話を再生したのですが、見終わったときに口から出たのは「思っていたのと違う」でした。

絵が古いとか、線が粗いとか、そういう話ではありません。当時はものすごく怖いと思っていた場面があっさり通り過ぎていったり、主人公の行動が今の目で見ると急に幼く見えたりします。記憶の中にある作品と、実際に画面で流れている作品が、いつのまにか別物になっていました。それ自体は当たり前のことですが、準備なく直面すると意外と落ち込みます。何度か同じことを繰り返したあと、昔見た作品を見返すときにはいくつか決めごとを置くようになりました。

一気見はしないと決めた

最初の失敗は、懐かしさの勢いに任せて一日に何話も続けて見てしまったことでした。三話目あたりから、記憶の中の断片的な場面が、今見ている映像にどんどん上書きされていく感覚があります。子どものころに一週間待って見ていたものを数時間で流し込めば、当時の見え方が残らないのは当然です。今は週に一話か二話までと決めていて、間隔を空けたほうがむしろ思い出すことが多くなりました。

当時の自分の感想を否定しない

もう一つ意識しているのは、今見て面白く感じられなかったとしても、当時の自分の受け取り方まで訂正しないということです。あの頃はテレビの前で息を詰めて見ていましたし、翌日に友達と話す前提で見ていました。その環境まで含めての面白さだったのですから、条件が変わった今の感想と並べて優劣をつける意味はありません。「今の自分にはもう向いていない」で止めておくと、後味がずいぶん違います。

逆に、当時はまったく分からなかった部分が急に立ち上がってくることもあります。脇役の大人たちが何に悩んでいたのか、なぜあの選択をしたのかといった部分は、子どもの頃には完全に素通りしていました。見返す価値があるとすれば、答え合わせよりもこちらのほうだと思っています。

吹き替えと主題歌は変わっていることがある

意外と落とし穴になるのが音まわりです。配信版では権利の都合で主題歌が差し替わっていたり、劇中で流れていた曲が別のものになっていたりします。海外作品だと、当時テレビで放送されていた吹き替えとは別の音声しか用意されていない場合もあります。作品そのものは同じでも、記憶と結びついているのは案外そういう部分だったりするので、再生前に音声と字幕の選択肢を一度確認するようにしています。吹き替えの声から次に見る作品を決めるようになった話を書いたときにも感じましたが、声の記憶は映像より強く残ります。

見返した作品については、見た作品を一行だけ記録しておく習慣のほうに、当時どう思っていたかと今どう思ったかを並べて書くようにしました。二行に増えただけですが、次に別の作品を見返すときの温度調整に役立っています。

懐かしい作品が配信で簡単に見られるようになったのは、単純にありがたいことです。ただ、それを当時と同じ気持ちで見られるわけではないという一点だけ、先に飲み込んでおくと後悔が少なくなります。距離を詰めすぎず、週に一話ずつ、当時の自分と今の自分を別人として扱う。そのくらいの置き方が、今のところいちばんうまくいっています。

年に一度だけ見返すと決めた一本

昔の作品を見返すなかで、毎年決まった時期に開くものが一本だけできました。

覚えている作品を見る意味が分からなかった

正直に言うと、以前は見返しに否定的でした。配信で見られる作品は事実上無限にあるのに、内容を知っているものに2時間を使うのはもったいないと思っていたのです。未見の作品を1本でも減らすほうが有意義だ、と。

考えが変わったのは、初めて見たときの自分の状況をはっきり思い出せたときでした。どの部屋で、何をしながら見ていたか。作品そのものより、そのとき自分が何を考えていたかのほうが強く残っていました。

同じ場面で引っかかる箇所が年ごとに違う

見返しを続けていると、心が動く場面が年によって入れ替わることに気づきます。以前は主人公の決断する場面に一番反応していたのに、ここ数年はその周りにいる大人の側の台詞が刺さるようになりました。

作品は一文字も変わっていないので、変わったのは当然こちら側です。前回どこで引っかかったかを一行だけ残しておくと差分が見えて面白く、一行だけ記録する習慣がここでも役に立っています。

恒例にするなら1本だけと決めた

ただし、見返す作品を増やすのはやめました。候補を3本まで広げた年があったのですが、そうすると義務感が出てきて、消化するような見方になってしまったからです。

今は1本だけと決めています。年に一度、決まった時期に、決まった作品を見る。それ以外の見返しは気が向いたときだけにしました。数を絞ったほうが、その1本を迎える感じが濃くなります。

新作を追いかけるのは新作通知をオンにした話のほうで済ませて、見返しは年に一度の枠に閉じ込める。この住み分けにしてから、どちらも気持ちよく続いています。

見返す作品をどう選んだか

恒例にする1本を選ぶとき、実は少し迷いました。好きな作品なら他にもありますし、評価の高い名作を据えたほうが格好はつきます。それでも今の1本にしたのは、初めて見たときの状況をはっきり覚えている作品だったからです。

作品の出来そのものより、自分の側に紐づいているかどうかで選んだ形になります。毎年見返して差分を感じたいのなら、比べる基準が自分の中にあるほうが都合がいい、という理屈です。

飽きるかどうかは今のところ問題になっていない

十数回も見て飽きないのか、とは自分でも思います。実際には、集中して見る回とそうでない回があります。台詞まで覚えているので、途中から半分は背景として流れている年もありました。

それでも構わないことにしています。初見の作品に同じ態度で臨んだら失礼ですが、見返しは別物です。むしろ気を抜いて見られる作品が一本あるのは、年末の慌ただしい時期にはありがたいものでした。

いつまで続くかは分かりませんが、途切れたら途切れたときに考えます。義務にした瞬間につまらなくなるのは、他のことで何度も経験しました。

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